鹿沼と戦争について考える

10日間も更新が開いてしまいました。にもかかわらずアクセスいただいた方には、感謝申し上げます。
更新が開いたのは、市議会も終了し、8月に入って夏休みモードに入ったのか、
鹿沼市政に関する話題がさっぱり入ってこなくなったのが原因ですが、
私自身も、この間夏休みをとって、家族サービスなどに勤しんでおりました。
昨日は盆の入りで、ご先祖様に手を合わせたりもいたしました。

また、北京オリンピックも開幕しました。
連日、テレビ中継にかじりついている方もいっしゃると思います。
皆様はご存知でしょうが、今回のオリンピックには、鹿沼市から2人の選手が出場しています。
1人は前にも紹介した女子卓球の平野早矢香選手、
もう1人は女子ホッケーの筑井利江選手です。
両者とも本日までに初舞台を踏み、活躍しています。
筑井選手は初戦のニュージーランド戦で決勝ゴールを決めています。
平野選手も、団体初戦でシングルス、ダブルスで2勝し、チームの勝利に貢献しました。
今後の活躍にも注目です。
がんばれ!平野、筑井!
ちなみに、鹿沼市では卓球女子シングルス4回戦の模様を、
フォレストアリーナで応援するイベントを開催するようです。
詳しくはコチラを参照してください。

さて、8月といえば、8月6日の広島原爆記念日、9日の長崎原爆記念日、
15日の終戦記念日などが続き、テレビでも日本と戦争についての特集番組がくまれるなど、
戦争と平和に対する関心が強まる時期でもあります。
そこで、今回は、鹿沼と戦争について考えてみました。

先の大戦では、鹿沼市域からも多数の人が出征し、戦地へ赴きました。そして、戦死者も多数出ています。
また、戦時下においては、国内にいる人々は、戦地の兵士を支える「銃後」とみなされ、
戦争遂行が第一とされ、物資の供給や工場・農村への勤労動員などの支援が行われました。
また、空襲を避けるために都会から多数の疎開者を受け入れています。
鹿沼市域には、集団学童疎開の児童も多数受け入れており、
鹿沼市史研究紀要第一号「かぬま 歴史と文化」には、
東京都新宿区津久戸小学校疎開児童の思い出や、同校児童の「疎開日記」が掲載されています。
特に「疎開日記」は、当時の鹿沼の様子がリアルに伝わってきて、たいへん面白いです。
版元品切れのようですが、図書館で読めますので、ぜひ読んでみてください。

空襲と言えば、大戦末期の7月12日深夜には、鹿沼も空襲の被害にあっています。
同日は宇都宮空襲の日で、市街地の約半分が焼失、500人以上が死亡した大空襲でしたが、
宇都宮市を空襲したB29の一部が鹿沼にも飛来し、焼夷弾を投下したものでした。
「鹿沼市史」等によると、この日午後10時半ごろ、鹿沼市が一北部を中心に爆撃があり、
泉町、戸張町、文化橋町、下府所など256戸が焼失、死者9人、重軽傷者18人の被害が出たそうです。
米軍機は軍需工場でった帝国繊維(テイセン)を狙ったようですが、
風などで西にそれ、市街地北部を直撃しました。
帝繊の寄宿舎も被災し、女子工員4人が焼死しています。

市街地に昔から住むお年寄りの方にお話を伺うと、
「屋根に登って箒で焼夷弾を叩き落した」とか、
「とにかく着の身着のままで御殿山に避難した」
「宇都宮の方角(東)のほうの空が真っ赤に見えた」
などのお話を聞くことができます。
被災者は来た小学校の行動に避難し、炊き出しなどを受けていました。
泉町の焼失した地域は、戦後区画整理が行われ、今ではその面影はありませんが、
鹿沼の戦災の記録については、きちんと語り継がれることを祈ります。

ちなみに、「崖の上のポニョ」が公開中のアニメ映画監督の宮崎駿氏が、
戦時中に鹿沼に疎開していたことは、ご存知の方も多いと思います。
氏のおじさんに当たる人が「宮崎飛行機」という戦闘機の部品を作る工場を経営していて、
その工場が鹿沼にあった(JR鹿沼駅の南西、「魚要」の付近)ので、
そこを頼って疎開してきたそうです。
宮崎氏にしてみれば、小学校入学前の幼いころであり、記憶もほとんどないそうですが、
一時期にせよ、あの世界的な巨匠が、鹿沼に住んでいたなんて、素敵なことだと思いませんか?
ちなみに、実際に住んでいたのは、今の御殿山病院のところだそうです。
幼いころの宮崎氏が、今宮神社や御殿山のあたりを歩いていたんですね。

話がそれましたが、こうした鹿沼と戦争に関する歴史についても、
きちんと記録し、後世に伝えていくことは、大切なことだと思います。
それは、現在そして未来の世の中を平和なものとするためにも、必要なことです。
鹿沼市は平成7年に平和都市宣言をしています。
平成9年からは毎年、市内の中学生を広島の平和記念式典に派遣しています。
これは、未来を担う若い世代に平和の大切さを知ってもらうためにも、
たいへん意義ある事業ですので、ぜひ末永く続けていただきたいと思いますが、
平和都市宣言から10数年を経過していることでもありますし、
さらなる平和行政の推進にも期待したいと思います。

例えば、戦争体験者の体験談をまとめた「鹿沼と戦争」の記録出版をするとか、
世界各地で勃発している戦争や紛争解決へのアピールをするとか、
小・中学生の学校教育現場での平和教育の推進とか、
中・高校生対象の平和論文の募集と表彰とか、
いろいろと考えられると思います。
佐藤市長は、県議時代から平和の問題には積極的に取り組まれてきたと認識しています。
ぜひ新たな平和行政を推進していただきたい、と、エールを送っておきます。

みなさんのご意見もお待ちしています。

ブログランキングに参加しています
↓ よろしければクリックしてください
FC2 Blog Ranking
テーマ: 政治・地方自治・選挙 -  ジャンル: 政治・経済
by 佐渡ケ島  at 18:33 |  鹿沼の話題 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:佐渡ケ島
鹿沼生まれ、鹿沼育ち、
今はサラリーマンをしています。
未来を担う子供たちのために
ふるさとの未来を、少しでも良いものにするために
何ができるのか日々思案中です。
鹿沼の宝を未来へ!

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター